排除の論理
バンクーバー五輪のスノーボードで、渦中の国母選手が決勝に進出し8位。大技に挑戦したけど、雪上に叩きつけられた。それでも演技は華麗で立派、日本の第一人者の貫禄を示した。スノーボードの会場では、彼の髪型や服装も溶け込んで、違和感を覚えなかったから、アスリートとして自然体だったような気がする。 メディアで騒ぎ始めたときの率直な感想は、着こなしを注意するなら髪型からと思ったし、鼻ピアスも趣味じゃないと眺めてた。でも、それなら相応しいスタイルは丸刈り頭に詰め襟か、街を歩けば同じような若者が、いくらでも溢れてるのに、それを注意する人なんかいない。いつの間にか市民権を得てるのは事実。 国の代表として税金で、五輪に派遣されてると言う人もいるし、TPOをわきまえないと批判する人もいるけど、それって主観を基準にしてるだけじゃないか。上から下までのっぺらぼうなら、そのほうが薄気味悪くないか。他人に迷惑を掛けたなら別だけど、それぞれの趣味嗜好はお互いに尊重するのが当たり前。 それをメディアが鋳型に填めてバッシング、視聴者や読者が尻馬に乗って非難する。街中で胡散臭い若者たちを、遠巻きにしながらも、何をするかわからないので黙ってる。ここぞとばかりに憂さ晴らし、国母選手を血祭りに上げて溜飲を下げるのは、どこから観ても卑怯な振る舞いと思わないか。文句があるなら直接言え。 同質で類似的な傾向だけを認めたら、世の中が狭くなり成長できない。国母選手のスタイルは好みじゃないから、自分から声を掛けないけど、話し掛けられたら応えるよね。評価するのはその先の話で、自分が正しいとは限らないし、否定的に受けとめるなら距離を置けば済む。頭を下げさせるような問題じゃない。